根はド文系な情報系大学院生による戯言

普段は人工知能を使って音楽について研究したりしてます。

マイブーム(日本史と天皇への尽きない興味)とネトウヨの軽薄さについて

最近のもっぱらの興味が日本史と天皇についてなんですが、

 

天皇に興味があると言うとすぐに右翼認定されてしまいそうで中々話のタネに出来ないのが辛い所です...(自分としては天皇に人権を当て嵌めたりしちゃうので寧ろリベラル的に天皇の存在を規定しようとしがちなタイプなんですが)

 

歴史学という学問は歴史を批判的に検証していく学問ですが

歴史学的に見た天皇という存在と系譜は、歴史を縦軸と横軸で見た時に一つの縦軸としてとても機能的に可視化する手立てとなり、

天皇そのものを批判的に見るという意味でも寧ろリベラルにみる行為な気がしています。

 

また、そんな感じで新書系の本や論文を読みあさっていると、

日本の歴史ってこんなに面白かったんだ、と小学生並みの感想を抱きながら過去に想いを馳せることが出来て楽しいです。(小並感)

 

特に、天皇史以外においては、古代,近古代(平安時代)にハマっているのですが、

謎めく古代に対するロマンも去ることながら、大化の改新以降律令国家としての萌芽を歩む中で国を一つにするという意味での装置として天皇を大王(おおきみ)から担ぎ上げて、また日本書紀などの記紀を編纂し(創作というとネトウヨに殺されそう)まさしく日本という国の歴史を刻んでいく流れは中学時代に暗記科目として習った日本史とはまるで見え方と歴史に対する解像度が異なり正に壮観でした。

 

そして、歴史は繰り返すとはよく言ったものですが、

この古代史における革命的な改革が同じような形で行われるのが明治維新というのが日本史の面白い所ですね

大化改新においては唐王朝の成立による危機感から蘇我氏などによって律令体制,天皇という存在でもって新しい価値観と体制を築いていくのですが、

同様に江戸末期においても、アメリカなどの外圧による危機感から藩によるバラバラの所属意識ではなく一つの国としての意識を持たせるための装置として天皇が担ぎ出され、明治維新に繋がるわけです。

 

つまり、日本という国は常に外圧の中で自らの歴史を規定してきたという歴史があり、島国という地理的要因から文明の発生源である渡来人,中国文明、西洋文明なしには生き延びていくことの出来ない極東の性を感じます。

 

それがボーダーレスになった現代において何か示唆するものがあるのかは分からないですが、ネトウヨの方達は意気揚々と祖国自慢をする前にこのような歴史学的洞察の知見を学ばれて自らの歴史観の客観性の無さを戒めて戴きたいものです。

 

しかし、戦前の政府が天皇皇国史観でもってナショナリズムの生成と喚起を目的に掲げ国民に対して教育していたのを考えるとネトウヨという存在そのものが天然記念物的な目で見れる気もします(しない)

 

明治政府においては、統一国家を生成する上で過剰なまでにナショナリズムを喚起する必要があって、その中で日本人が道徳規範などの心性において優越性を有してるという感じで日本人の民族意識を昂揚していく訳ですが、

この流れはナチス・ドイツとかがやったファシズム的な流れと一緒で、
そう考えると国体という名の元で行われていた国民に対する洗脳教育は明治から始まってたんだな、というのは中々に衝撃的です。

 

また、言わずもがなそれはネトウヨの方達の差別的発言にも現れてくるわけです。